ここではない、どこかへ

 高校を出て、運よく大学にも進学でき、経済的には厳しい面もあったが大学院を修士まで出て就職した。大学院の指導教授にはいつでも戻っておいでと言われたし、就職して2年目の人事考課ではAをもらった。他人からは、きっと私は順調に時を刻んでいるように見えるだろう。それを完全に否定することはできない。私が恵まれた環境にあったことも、その環境にあったからこそ結果を出すことに集中できたことも、事実だ。

 一方で、私は自分を語る言葉を持たない。自分について何か重要なことを語ろうとすると、「分からない」としか言えなくなってしまうのだ。どのジェンダーで生活したいのか、他人とどのような距離感でどのような関係性を構築していきたいのか、何をしていれば終わらせることを考えずに生活できるのか、30歳に近づく今でも分かっていない。
 ただ、高校や大学を出てすぐに就職し、20代半ばで結婚し、20代後半から30代前半にかけて子どもを産み育てている会社の同僚たちを見ていると、彼女たち(彼ら)には私とは全く異なる時間が流れていることだけは感じ取ることができた。彼女たち(彼ら)は自分のジェンダーセクシュアリティの不確かさを疑ったこともなければ、婚姻制度の利用に躊躇もなく、血のつながった子どもを持ち、定年まで同じ仕事を続けることを前提として生活をデザインしているように見える。折に触れて自分自身の不確かさを疑わずにいられる生活は、私のそれと比べて安定的に、そして着実に時を刻んでいるように思える。また、同僚たちはプライベートで何かに迷うと、すぐに会社の上司や同僚に相談している。交際、結婚、子育て、老後などその内容は様々だ。ロールモデルが身近にたくさんいる生活など、私にはまったく想像もできない。また、セクシュアリティや疾病の状態など、マイノリティであることのカミングアウトなしにプライベートの相談などできるわけもない。こうしたプライベートの相談事をところ構わず大声でしているのを耳にする度に、私とは別の時間を生きていることを感じる。そして、喉に何かが詰まったような不快感に耐えるしかなくなる。

 とにかく、色々なことが分からないので、ここではジェンダーに限って話をする。私は生まれた時に割り振られた性別が女性で、今も一応社会的には女性として生活している。しかし、自分のことを女性であると思っているわけでもないし、男性になりたいわけでもない。それでも、生活に支障はなかったし、身体に何らかの医学的なアプローチをする気もなかったので、この点を深く考えようとはしてこなかった。考えなくても、自分の時間を進めることはできると思っていたのだ。
 しかし、本当にそうだろうか?職場でバレンタインに男性の同僚たちからお菓子をもらって吐き気がしたことがある。私にとっては違和のある身体を、セックスの最中にくり返し「女性」として規定し直す当時の交際相手の言葉や視線に絶望的な気分になることもあった。自分の身体のラインを直視するのが難しく、自分の身体を中性的に保つために、いつも必要カロリーを摂取できていない。それでも、生活に支障はなく、時間を進めることができていると言い切れるだろうか?
 私は分からないことを切り離して、分からないまま無理やり時間を進めてきた。だから、切り離された事柄については、ずっと時が止まったままだ。下手したら、違和を覚えた時や一般的とされるルートに乗れないと気付いた時から、ずっと止まっていることすらあり得る。ここにきて、わからないままにしてきたジェンダーが、自分がどこでどのように生活したいかにもつながる重要な要素であることに気付き、頭を抱えている。
 喉に何かが詰まったような不快感に耐えながら、ここに居続ける必要はないと思っている。ならば、どこへ?この問いに対する答えを、私は持っていない。思い返せば、今だけじゃなくいつだって、私は私のジェンダーを規定しようとする他人の視線のない、ここではないどこかへ、行きたがっていた。

 けれども、私は、そんな世界を知らない。


 今の状態/場所にとどまり続けることも苦しく、かといってここに行きたいという希望もない。でも、様々な生の在り様を丁寧に伝えてくださった、高井ゆと里さん「時計の針を抜く ―トランスジェンダーが閉じ込めた時間」と映画『片袖の魚』に出会えたことに感謝しています。高井さんにはエッセイが掲載されている『シモーヌ』までいただき、重ねて感謝申し上げます。