ドッジボールをしましょう

「今日の昼休みはクラスでドッジボールをしましょう!」
小学生のころ、先生が笑顔でそんなことを言った日の昼休みは、決まって図書室に逃走した。

私は人というものが得意ではない。
人と四六時中一緒にいることも、人とコミュニケーションを取ることも、人の集団のなかにいることも、人と人の間に入って何かを調整することも、人と「恋人」という関係を維持することも、とにかく様々なレベルで人が得意ではない。

いつからかは分からないけれど、さかのぼると小学校高学年になる頃には、すでにそうだった気がする。冒頭のように、クラス単位の行事からはしょっちゅう逃走していたし、それだけでなく、ごく親しいはずの友達さえ、遠ざけることがあった。

小学校6年生の時、同じクラスには親しい友達(と少なくとも周囲には見せていたはず)がふたりいた。友人Aは4年生の時からの友達で、男性アイドルやテレビドラマに夢中の彼女とピアノに熱中していた私には、まったくと言っていいほど共通の趣味がなかった。唯一の共通点を挙げるとしたら、ふたりとも転校生だったことくらい。地方の小学校に転校生はそう多くなく、そのため本人の意思にかかわらず目立った。小学校2年生でこの小学校に転校してきた私は、先生の使う方言が分からず、イントネーションやアクセントがひとりだけ違う教科書の音読はちょっとした見世物になっていた。4年生で転校してきた彼女に近づいたのは、そうした経験が影響しているように思う。あなたを見世物として消費しないという独りよがりな思いを、頼まれてもいないのに折に触れて表明していたと記憶している。
友人Bとは2年生の時から何度か同じクラスになっていたが、そこまで親しいわけではなかった。何かにつけて「○○した方がいい」「○○しないといけない」と言う彼女が密かに苦手ではあったけれど、実際に反発したくなるほど嫌なポイントを突いてくることはなかったし、彼女はいつでも善良で悪気はなかった。6年生になるとBと私は何度目かの同じクラスになった。ちょうどその頃、彼女は同じマンションの同じ階に引っ越してきた。学区内とはいえ、初めての引っ越しに彼女は戸惑っていたのかもしれない。私と一緒に登校しようとし、帰りも時間が合えば(同じクラスなんだから委員会やクラブ活動さえなければ確実に時間は合ったし、それらの予定もきちんと把握されていた)一緒に帰ろうとした。

休み時間はAとBと3人で過ごすことが多かった。
Bは自分の趣味の話をしなかったし、Aと私には共通の趣味がなく、お互いに相手の好きなものの話を聞くという回路を持っていなかったので、3人でいる時はほとんど外で遊んでいた。校庭にある遊具の上で鬼ごっこをしたり、ひとりはチェーンを絡ませて座面を高くして立ち漕ぎをして、他のふたりは高学年になってそれなりに大きくなった身体を詰め込んで2人乗りをしてブランコで遊んだりした。その時、確かに私は楽しかったし、他のふたりも、きっと笑っていたと思う。

3か月もすると、私はふたりに苛立ちを覚えるようになった。
ふたりはクラスのドッジボール大会を一緒にサボってはくれなかった。それどころか、サボってどこにいたのか、何をしていたのかと詮索し、Bは「次からは参加するように」と言い含めた。別に一緒にサボってほしかったわけではないが、放っておいてほしかった。「休み時間」にクラスみんなでドッジボールをすることは、私にとってはまったく「休み」にならない、ということを11歳の私はうまく説明できなかったし、基本的に学校という人の集まりが好きそうだったふたりには、私の行動はまったく理解できないものだっただろう。

そのうち、私が休み時間に何をしようとどこに行こうとついてくるふたりを、鬱陶しく思うようになった。それまで無理してふたりと遊んでいたわけではなかったが、誰と友達であっても、ひとりで音楽室でピアノを弾いたり、図書室で好きな本を探したりする時間が私は好きだった。彼女たちは音楽をやらなかったし、本も宿題以外に読まなかった。それらに興味もなかった。だから、音楽室や図書室でも教室にいるのと同じ調子で、クラスの誰それがどうしたみたいな話をしていた。好きな時間を邪魔された私は、「それやめて」と言ったが、ふたりは「何が?」という反応だった。ふたりからしたら、教室にいる時と同じことをしているのに、なぜ私が怒っているのか、まったく分からなかっただろう。

とうとう私は「鬱陶しいんだよ、どっか行け」と言うようになった。それでもふたりは休み時間のたびについてきたから、何度も繰り返しふたりに暴言を吐いた。それなのにふたりは「どうしたの?」と聞いてくる善良なひとたちで、その善良さに私はまた苛立った。次第にふたりとは距離ができるようになり、秋になる頃には3人で鬼ごっこはしなくなったけれど、善良なふたりは私の暴言を先生にも言いつけなかったらしく、教室ではこれまでどおり話していたから、大人の目にはわたしたちは卒業まで「仲良し3人組」に見えていたようだ。先生が勝手に決める修学旅行の班は3人一緒だったし、運動会の組体操でBと私はペアだった。

私は冬にいくつかの中学校を受験し、そのなかで合格したところに通うことにした。ふたりには受験したことも言わなかったし、進路を決めてからも、個人的には伝えなかった。ふたりとは、卒業以来一度も会っていない。中2になる時に私は東京に引っ越して、物理的にも距離ができた。その後、Aがどこの高校へ進んだかはSNSで知ったが、Bがどうしているのかはまったく知らない。

こうして振り返るまでもなく、私はひどい。
ふたりには悪いことをしたと思っている。だけど、何度戻っても同じことをしてしまうとも思う。実際、これがいちばん幼く分かりやすいだけで、同じようなことを中学校でも高校でもしてきた。

私は人というものが得意ではない。