労働のもやもや

このブログで最初の記事が「労働のもやもや」って、なんだかなと自分でも思う。
なぜ、職場にいない時間まで、職場のあれこれを考えないといけないのか、とも。

 だけど、わたしは賃金労働者で、1日のほとんどの時間を労働現場で過ごさざるを得ない生活をしているから、そこでのもやもやはわたしのなかで結構な割合を占める。たとえ、それが不本意であっても。だから、休みが明けてその現場に引き戻される前に、「もやもや」を少し、言葉にしておきたい。

 わたしは2019年の4月に就職した。
はじめての仕事は、パンフレットの作成だった。デザインを委託した業者から送られてきたデザイン案を見て、「女性の視点だとポップになちゃうのかな」と上司は言った。デザインをお願いした会社の担当者もわたしも(自認はともかく社会的には)女性として仕事していて、つまり上司は「わたしたち女性が作ったからパンフレットのデザインがポップになり過ぎている」と言っているのだった。わたしは、心のなかで「女性の視点ってなんだよ」と思いつつ、大きすぎる主語をやんわり否定して「一般的な女性の視点は分かりませんが、個人的には用途を考慮するとポップかもしれませんね」と返した。

 上司は普段、とても「いい人」だ。
仕事のさっぱり分からない新人のわたしに、非常に根気強く仕事を教えてくれる。怒鳴らないし、精神論を持ち出さない。

 これは、上司に限ったことではない。
先輩は、パートナーのことを「うちの嫁」と呼ぶし、「嫁がすぐ泣くから地獄」ということをよくネタにする。でも、先輩は「いい人」だ。だって、どんなに忙しくても周りにイライラをぶつけないし、丁寧に仕事を教えてくれる。

また別の先輩は、わたしがいくら興味がないと言っても「昔は職場にAVがあった」話を延々と続けた。でも、先輩も「いい人」だ。だって、配属になってからずっと部署に関する基本的なことを教えてもらっている。

 友達と話すと、もっとひどい労働現場の話を聞く。それに比べると、恵まれた環境で働いてると思う。上司や先輩は、少なくとも明確な攻撃の意図を持ってわたしを攻撃しない。それどころか、困っていると必ず助けてくれる。だから困る。いつも怒鳴っていて、精神論を振りかざすような人たちなら「あの人はモンスターだ」と思える。でも、そうじゃない。基本的に「いい人」だ。その「いい人」の口からとび出る、(おそらく差別の意図はないが)差別的な言葉たちをわたしが勝手に心のなかに積もらせて、もやもやして、消耗しているだけだ。

 気にしなければいい、と言われるかもしれない。だけど、ここに書いたような上司や先輩の言葉を飲み込むことは、女性差別に加担することになるし、自分の学びや生き方そのものを自分で損なうことにもなる。それだけは、したくない、と思っている。

 

でも、わたしは仕事のできない新人だ。
上司や先輩の手をたくさん借りないと仕事を進められない。しかも上司や先輩とは、異動の関係上、短くても2年は一緒に仕事をするはずだ。「その言い方、差別的なのでやめてください」とは、とても言いにくい。角を立てずに伝える方法を、なぜわたしが考えないといけないのかという苛立ちもある。結局、角を立てずに伝えることは、わたしの生存戦略だ。賃金労働を続けつつ、精神の消耗を緩やかにするための。

 わたしがパンフレットの時に上司に言った「一般的な女性の視点は分かりませんが、個人的には」という言葉の意味は通じていない。差別的な言葉を聞くたびに、話題を変えたり、やんわり否定したりしているけど、無駄かもしれないといつも思う。それでも、わたしは言い換えたり、話を変えたりし続けたい。人を踏む言葉たちを、そのまま飲み込みたくはないから。